La Coppia Musicaについて

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ここでは、「La Coppia Musica(ラ・コッピア・ムジカ)」、そして、私、yukiについて自己紹介したいと思います。

La Coppia Musicaとは

 La Coppia Musica(ラ・コッピア・ムジカ)とは、La Coppia(ラ・コッピア)とLa Musica(ラ・ムジカ)を合わせた言葉です。La Musica(ラ・ムジカ)はイタリア語で「音楽」という意味、そして、La Coppia(ラ・コッピア)とは、イタリア語で「カップル、夫婦、一対」という意味です。

 もともと、夫と「La Coppia」というユニット名で演奏活動をしていました。夫はドラマーで、ロックやジャズがメイン。私とは明らかにジャンルが異なるのですが、お互いに「夫婦で一緒に演奏したい」という思いがあり、歩み寄って、いろいろなジャンルが混ざった形で一緒に演奏することが実現しました。夫婦は歩み寄りが大事、ですね。

profile

名前:yuki 職業:メゾソプラノ・音楽講師。
名古屋音楽大学卒業。卒業後、イタリアへの短期留学を繰り返し、声楽を本格的に学び始める。東京二期会研修所修了(現在は退会)。東京二期会主催のオペラ公演や、NHK交響楽団の定期演奏会など様々なオペラやコンサートに合唱団として出演。歌曲コンサートやオペラガラコンサートなど、自主企画公演開催。一方で、小・中学校、特別支援学校、老人ホームなどでの音楽指導にも従事してきた。
音楽理論や発声をわかりやすく伝えること、歌うことで心も体も元気になるレッスンを提供すること、歌を通して、平和な地域づくりに貢献することを目指し、日々、活動している。

My Story

 私は4歳の頃、YAMAHA音楽教室でエレクトーンを習い始めました。先に習い始めていた兄の影響で、「私もやりたい」と自分から言いだしたそうなんですが、始めて1カ月もしないうちに、「やめたい」と言って、一度やめたそうなんです。本人はまったく覚えていないのですが、しばらくしてまた「やりたい」と言い出し、再び習い始めたそうです。

 このあたりの記憶はまったくないのですが、なぜ嫌だったのかは心当たりがあります。当時、最初に通ったのは5,6人のグループレッスンでした。そのレッスンの中で、先生が「ドーミーソー」と弾いたら「ドーミーソ―」と歌い、「ドーファーラー」と弾いたら「ドーファーラー」と歌う、いわゆる聴音のレッスンがありました。それが、驚くほどわからなかったのです。他のみんなはいとも簡単に歌っているのに、私だけ全然わからなくて、間違えて歌っては笑われて、何度やってもわからない、その時間がとても苦痛でした。もともと耳がよくなかったのかもしれませんし、練習不足だったのかもしれませんが、私だけわからないことが、恥ずかしいし、とても嫌だったのです。

☆音を取れる人と取れない人がいることに気づく。

 その後、どう乗り越えたのかは覚えていませんが、順調に続け、電子オルガンで音楽大学に入学することになります。音楽大学では、弦楽器や管楽器などいろいろな楽器を生で聴いたり、実際に演奏する機会に恵まれました。それまで電子オルガンばかり練習してきた私は、基本的に「電子音」ばかり聞いていました。ところが、音楽大学に入り、弦楽器を生で聴いたり、実際に演奏したりすると、電子化されていない「自然の響き」に夢中になります。そして、次第に、電子音では満足できなくなって行きました。かろうじて大学4年間は電子オルガンを続けたものの、卒業後、電子オルガンを演奏することはなくなりました。

☆「電子音」と「自然の響き」の違いに気づく。

 「電子音」と「自然の響き」の違いに気づき、自分の音楽について悩んでいたころ、たまたま、あるソプラノ歌手のコンサートに行きました。コンサートと言っても、音楽ホールではなく、会議室のようなステージもない部屋で行われた質素なコンサートでした。
 しかし、そのコンサートが私の人生を変えました。そのソプラノ歌手が最高音を出した時、気づいたら、私は涙を流していたのです。その声はあまりに美しく、まるで私だけのために、天から声が降ってくるような感じでした。「これが人の声なの?」それはとても不思議な体験でした。そして、恐れ多くも、「私もこんな声を出してみたい。」そう思ってしまったのです。

声楽に目覚める。

 大学卒業後、声楽の勉強を続けながら、特別支援学校で音楽講師をすることになりました。附属病院に入院してきた児童の音楽の授業を担当したのですが、その中に、知的障害を持ちながら他の病気の治療のため入院している、寝たきり状態の児童がいました。8歳の女の子でした。指先を少し動かせる程度で、あとは反応を読み取るのも難しいくらいの状態でしたが、初めての授業で私が歌を歌うと、彼女はすごい勢いでまばたきをし、いかにも興奮している様子が伝わってきたのです。明らかに私の歌声に反応していました。この反応に、その場にいた他の先生も、女の子のお母さんもびっくりした様子でした。
 他にも、なかなか静かにならない児童が、私が歌い出した途端、落ち着きを取り戻したり、普段、声をあまり出さない児童が、急に声を出したり、私の歌声が誰かに影響を与えていると実感する出来事が何度もありました。この特別支援学校での経験で、歌には何か不思議な力がある、と確信を持つようになりました。

☆歌には何か不思議な力があると確信する。

 その後、もっと専門的にオペラを勉強するために、上京し、東京二期会の研修所に入りました。しかし、これがなかなかうまくいかず、次第に強い劣等感を感じるようになります。なぜうまく歌えないのだろう、私が下手なせいで他の人の足をひっぱっているのではないか、そんな思いが先に立ち、歌を楽しむ、響きを感じる、という心の余裕がなくなっていきました。研修所修了後には、二期会の定期公演の合唱の仕事などをいただいていましたが、その時も、人に迷惑をかけないように、誰かの足を引っ張らないように、と思い、公演自体を楽しめていなかったと思います。数年続けましたが、ある時、このまま続けていてはダメだと感じ、二期会をやめる決断をしました。そのころは、歌を楽しむどころか、歌うことがつらくなっていました。
 オペラ歌手になることを夢見て上京し、そのことばかり考えていた自分が、ぱたりと歌をやめて、いったい何をすればいいのでしょう。なんとなく派遣で事務の仕事などをしてみるも、新たな目標も見つけられず、ぼんやりと過ごしていました。

☆歌をやめる。

 まったく歌わない日が何か月も続いた頃、以前、登録していた埼玉県アーティストボランティアから、老人ホームでのコンサートの依頼がありました。ためらいつつも引き受けることにしました。久しぶりに練習してみると、歌うための筋肉も体力も落ちているものの、逆に力が抜けて楽に歌えるような感じがしました。
 コンサート当日、自分の心配とは裏腹に、老人ホームの方々はとても喜んでくださいました。私自身もとても楽しく、満たされた気持ちになりました。その後も依頼があるたびにコンサートを引き受け、歌うことへの意欲が回復してきました。そんな中、知人からデイサービスでコーラスの指導をしてみないか、という声がかかったのです。私は喜んで引き受けました。

☆歌を再開する。

 デイサービスでの指導は、私にとってとても楽しいものでした。それは、これまで、オペラ歌手になるため、とか、舞台を成功させるため、とか、何かのために歌っていた自分にとって、純粋に楽しむための歌に気づく、とても貴重な経験でした。大きい声が出るわけでもないし、音程も不安定、だけど、その人の生きざまを感じる優しい歌声に、私の中で、歌の概念が変わったのだと思います。

☆歌は楽しむためのもの、と気付く。

 ある日、デイサービスに初めての方が参加されました。認知症があり、始めは「わからない、わからない」と言って歌うことを拒んでいました。ところがレッスンが始まり、私が歌い出すと、その方が涙を流して「すごいいい声だねぇ」とおっしゃるのです。驚きました。あんなに歌うことを拒んでいた方が、私の歌を聴いて涙を流している。その時、私は思い出しました。学生だったあの日、ソプラノ歌手の声を聴いて涙を流した自分を。そして、今、私の声を聴いて涙を流している人がいる。私はあの時のソプラノ歌手のように歌えているのだろうか。思っていた形とは違うけれど、あの時の思いは実現した、と感じました。

☆心に平和を感じる

 歌の不思議な力に気づき、その力に私自身が救われてきました。歌の世界は知れば知るほど面白い。いろいろなジャンルの歌があり、それぞれに思いがあり、広くて深い歌の世界には、正解も不正解もありません。それぞれが自分に合った表現をし、心に平和を感じることができれば、それが正解なのです。歌を歌うことで、私自身の心はもちろん、私の歌を聴いてくださる方が平和な気持ちになれるよう、これからも歌い続けたいと思います。

Posted by yuki